お茶にしては味が薄く、香りもなく、カフェイン気ゼロ。色は出がらしのほうじ茶みたい。だいだいぬるくて、美味しいものではないのです。だいたいプラスチックのコップで、ちょっとオシャレ系のお店はガラスのコップでしたが、中身は同じような味でした。
最初の頃は、出されるので普通に飲んでいたのですが、何となくまわりに飲んでいる人がいないことに気づき始めたのです。そして『香港無印美食』を読んで確信に変わりました。飲むためのものではないのだと。この本の筆者のとりあえずの結論は、「お茶が置いてある=この席には人がいる」という目印説で、このお茶の意味について香港人に尋ねても明確な答えは返ってこないので、推測に過ぎないそうです。
この間、相席になった学生風の子たちがコップにスプーンやフォークを浸けているのを見ました。『香港無印美食』の筆者も洗杯(サイプイ)説を書いていて、これも有力説だと思います。
飲むものではないらしい、と知ってからも辛いものを食べた時は飲んでしまいます。おかわりを頼んでも、特に不思議がる様子もなく注いでくれます。ということは、やっぱり飲んでもいいものなのでしょうか。
おススメ本です。筆者の香港愛、茶餐廰愛が伝わってきます。
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